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「保守的なドイツ」をフルートの歴史から見つめてみると

  • 執筆者の写真: 中川 康大
    中川 康大
  • 2014年2月10日
  • 読了時間: 3分

以前少し触れたが、2012年までドレスデンのシュターツカペレで首席奏者を務めていたエッカート・ハウプトは優れた研究者である。彼の著書『Flöten-Flötisten-Orchesterklang』からは、数々の貴重な情報を得ることができる。

現在一般的に使用されているべーム式フルート(1847年式、円柱管)が発明された当のドイツではなかなか普及しなかったことについては、私自身学生時代に習っていたし、皆さんも耳にしたことがあると思う。ハウプトの著書から得た情報でもう少し、ドイツ国内での事の経緯に触れておきたい。


隣国フランスではわずか26年余りで普及したがドイツではほとんどの都市でその普及に80年もの歳月を必要とした。理由は、当時ドイツのフルート界における最大の権威であったフュルステナウ(1792-1852)とその後継者たちの影響によるものだそうだ。ビュファルダンからクヴァンツ、フュルステナウからルッカーへと、文化都市ドレスデンにて脈々と受け継がれてきたフルートスクールの歴史的重みは相当なものだったのだろう。さらに興味深いのは、ベームがその革新的フルートを作り出した当のミュンヘンのフルーティストたちがなんと20世紀の半ばまで、彼の前作(1832年式、円錐管)にこだわり続けていたという事実である。さすがドイツ国内でも最も保守的とされるミュンヘン(バイエルン)である。

ドイツでの修行時代に学生仲間とさまざまな楽器工房を訪ねたときのことを思い出す。バイエルンのとある金管楽器工房を訪れたときのこと。私がベーム式フルートの技術者であることを知ってそこのシェフが言ったひと言。「ベーム式フルート?あんなうるさい楽器。ワーグナーもあれはひどいって言ってたしな!」


こういう人たちを行き過ぎた保守主義者といって切り捨てるのは簡単だが、ドイツのフルーティストたちが簡単に1847年式に乗り換えなかったことに関して私はある種の重みを感じる。ワーグナーやR.シュトラウスが、音響的にもテクニック的にも古典派音楽からかけ離れた音楽を書きながら伝統的フルートの響きに親近感を持っていたエピソードを聞くと、ドイツで慣れ親しまれ、大事に育まれてきた「フルートの響き」というのがやはりあるのだと思う。

で、私が最近直感しているのは以下のようなことである。1847年式ベームフルートでよき伝統が崩れたという向きがあるが、これは「楽器」の問題ではなくその当時における「楽器の状態」の問題なのではないか。言い換えれば、材質が金属になったからとか、管が円柱管になったからおかしくなったということはなく、1847年式の機構の、その理念としての正しさとは別に、既存の機構に比べて楽器の状態に密封精度を依存してしまうという宿命が、その評価を遅らせた知られざる真の原因なのではないか、ということである。詳しくはまた後日説明させていただくことにする。


 
 
 

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