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Kota Nakagawa,

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フルートメカニズムの大変化

  • 執筆者の写真: 中川 康大
    中川 康大
  • 2014年3月5日
  • 読了時間: 3分

更新日:2020年8月29日


前回の続き。

歴史的経緯をたどりながら考えていくのがよい。笛はもともと音孔を直接指で押さえて音階を奏でるものであった。これにメカニズムを付けるに至った理由は、(初期には経験的な意味で)正しい位置にトーンホールを設ける必要があったからである。そうした要求の中でトーンホールの数量が増え、現実的に人間の指の数では演奏不可能となった。人々はメカニズムを設置しキイを連動させることで解決した。ただそれだけのことであり、それ以上の理由はない。


その当時のメカニズムは、現在のクラリネットに見られるようなリングキイメカニズムであった。すなわち、連動される側のキイ以外はリングキイを押さえることによって、指が直接トーンホールを塞ぐというものであった。連動部分に限って言えば、連動される側のパッドが適切に調整されていれば、後はリングキイの高さに問題がない限り、奏者の力量次第で密封されるシンプルなものだったのである。


これが、ベームの1847年型の開発によって大きく変わる。1847年型ベームフルートのアイデアの元になったのは、シャフホイトルという人物のフルートの音響に関する研究である。そのひとつが「トーンホール(原文では〝押さえ穴〟)はできるかぎり大きくされるべきである。なぜなら、トーンホールが小さければ小さいほど、波長の出入りが遅く、損なわれる。」というものである。簡単に言えばトーンホールが小さいと音の立ち上がりが阻害されるということだ。


トーンホールが大きくなれば、直接指で塞ぐことは難しくなる。実はベームの1947年型の一号機は、以前と変わらぬクラリネット的リングキイ(画像)が使用されているのであるが、正直、これを当時の人はちゃんと演奏することができたのかどうか私には疑問である。私自身、クェノン製の同タイプのフルートを試奏したことがあるが、ほとんどまともに押さえられなかった。その後、ベームの作るフルートははまさに我々が慣れ親しんでいるタイプの、全てのトーンホールを指ではなくパッドを介して塞ぐキイシステムへと移行していく。


ベーム1847年型一号機、右手部分

画像:ベーム1847年型一号機、右手部分



私は、ここがフルートの歴史におけるひとつの重要な転換点だと見ている。なぜならば、この現代的キイシステムの発明によってフルートの「よい音」の重要要素のひとつである密閉が、演奏家ではなく、技術者の腕にほぼ完全に委ねられることになったからである。詳述するのが若干面倒くさいので(苦笑)とりあえずひと言で説明すると、押さえる側と連動する側が両方ともパッドになってしまったことで、演奏家の技術次第で密閉状態を探り当てられた時代が終わったのである。技術革新真っ只中の時代にあって、理論が慣習から脱皮を試みたわかりやすい例であり、理論的理想と実践的現実の齟齬が、ベームフルートに対する様々な評価を巻き起こした。

それでもこうして世界中にベームフルートが普及するに至ったのは、技術革新ももちろんあるが、何よりもまずベームの理念が正しかったからである。そして彼の理念を補完したのがモイーズであったのだと私は思う。そう。二人とも演奏家なのである。


 
 
 

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