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楽器の値段と価値

  • 執筆者の写真: 中川 康大
    中川 康大
  • 2014年8月25日
  • 読了時間: 3分

この夏、州立劇場の首席奏者からフルートのオーバーホールの依頼があった。楽器はヤマハ、とのメール。最適なパッドを用意しなければいけないのでモデル名を教えてほしいと伝えると返ってきたメールにはスチューデントモデルの品番。これは!と思い、気合が入る。もちろん、抜き差しならないな事情があってこの楽器を使っているのかもしれないから、彼が楽器を持ってきた時も何も言わず受け取り、粛々と作業をした。もちろん、他のどの楽器にするのとも同じ品質で仕上げた。

だが、もしかしたら通じ合うものがある奏者かもしれない、という期待があったため、彼が楽器を受け取りに来たときに思い切って聞いてみた。



「どうしてこの楽器を吹いてるんですか?」

すると彼、うれしそうな顔をして、

​​

「やっぱりそう思ったでしょ。」

​​


彼はもともとゴールド吹きであり、たまたまトルコへの演奏旅行の際に盗難を恐れて安い楽器を探し求めたのが、このスチューデントモデルを吹くきっかけとなった。が、期せずしてこの楽器の響きがオケの指揮者やメンバーらに気に入られ、これを吹き続けることとなったのだという。私はうれしくなった。一流のオペレッタを演奏するオケのメンバーが、このスチューデントモデルの響きを選んだのである。


こういう風に書くと間違いなく誤解されるが、私は高級な楽器を悪く言うつもりなど毛頭ない。それぞれの美学、演奏する場所、演目で、必要とされる響きは違う。それでいいのだ。私が常々伝えたくて仕方ないことは、それが洋白製だろうが金製だろうが、ちゃんと調整されていなければ等しく悪く、逆に適切な調整がされているのであれば、その素材の持ち味が等しく発揮される、ということである。だから、自分が周りのみんなのようにいい楽器を持てないから、という理由で音楽をすることをあきらめたりしないでほしいのだ。


ケルンのオケで活躍するとある東欧出身のフルーティストのことを思い出す。当時音大生だった彼はすこぶるいい音楽家だったが貧乏なのでずっとスチューデントモデルだった。が、それでも現在のオケの首席フルートの椅子(超難関である)を射止め、憧れであった総金製の極上のフルートをオケから買い与えられたのだ。問題は楽器ではないということを示す好例だろう。


蛇足ながら私が大嫌いなのは、例えば、センスのかけらもない会場で、客をもてなす十分な準備もせず、譜面に張り付きながら極上の楽器で代わり映えしない音楽を奏でる、楽器だけ最高級なコンサートである。美しいものを伝えたい人間であれば、それら楽器以外の要素に嫌でも拘ってしまうだろう。私としては、そこまで楽器にかけるお金があるのであれば、美しいものを知り、実現するためにできることがもっとあるのではないだろうか、とやはり考えてしまうのである。


 
 
 

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