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Kota Nakagawa,

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「響きの密度」という表現の幅

  • 執筆者の写真: 中川 康大
    中川 康大
  • 2015年5月11日
  • 読了時間: 2分

50代を超えるフルーティストたちが口をそろえて言うのは、最近のフルートはつまらなくなった、というようなことである。彼らはフルートの黄金時代を経験しているのであるから、当然の感想である。錚々たるフルーティストの名前が浮かんでくるが、誰もが素晴らしく、不思議なことに誰もが違っていた。あれは何だったのだろう。


最近、ドイツのフルート史に詳しい教師と話す機会があった。各地域に根付く奏法の慣習とその変遷について教えてもらった。私は、彼だったら上記の疑問に対するヒントを与えてくれるのではないかと思い尋ねてみた。


私「昔と今では表現の幅の差のつけ方が全然違うように感じるのですが、何が違ったのでしょうか?」


教師「ああ、それは密度だ。


私「ああ、そうか!」


すっかり腑に落ちた。頭が悪いので、言語化できないとすっきりしないタイプなのだが、言語として投下されると過去の経験がみるみるつながっていく。


まず思い出されるのは、今は亡きヘルマン・クレーマイヤー先生のロングトーン。楽器を選定なさるとき、ただただロングトーンを吹いていらした。吹き始めた音をどんどん絞っていく。その響きの美しいこと!満足のいくところまで絞れていくと、「ほら、ほら。これ、これ!」と目で合図なさる。あれは音量の変化ではなかった。無駄な倍音がなくなって選ばれた響きが密度を増していくような変化であった。


そしてもうひとつ忘れられないのは、2008年のミュンヘンコンクール。弦楽四重奏部門で3位を受賞した日本のVerus Quartetの演奏。ファイナルまで何度も聴きに通ったが、どうも彼らが出す響きが他のみんなと違う。ヨーロッパの強豪たちは観客に見せ付けるような音を出していたのだが、Verus Quartetのそれは、弾きこんでも弾きこんでも音量にはほとんど反映されず、どこか深いところに響きが吸い込まれるような、そんな独特さであった。もしかしたら他の聴衆からすると物足りなかったかもしれないが、私にはとても魅力的に思えた。観客の耳を引きつけるような音楽。あれも響きの密度のコントロールであったと言っていいだろう。特にヴァイオリンの崎谷直人氏の演奏はいくら強奏してもそれが美に変化していくような、驚くべきものであった。

 
 
 

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