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音楽という人間のドラマ

  • 執筆者の写真: 中川 康大
    中川 康大
  • 2013年7月10日
  • 読了時間: 2分

近年発売されたチェリビダッケとベルリンフィルのブルックナー作曲『交響曲第7番』の映像をご存知だろうか。両者が袂を分かって38年。当時のヴァイゼッカー大統領の計らいにより実現された演奏会の記録である。

チェリビダッケのファンを筆頭に一定の不評の声があるようだが、ぜひ観ていただきたい。私にとってはこれ以上ない宝石のような映像だ。

なんといってもその緊張感。お互いが音楽家としてこの演奏会に何を求められているかわかっているから、一切の気の緩みも許されない。それが彼らの表情からひしひしと伝わってくる。そして生み出される音の重なりの美しいこと!手兵との演奏でなければいけないなどという先入観は全くの無駄。

一期一会だからこそ一瞬を愛しむ心はより大きくなる。

これほど話題になったコンサートもなかなかないだろうが、素晴らしいお膳立てだと思う。音楽には物語が必要で、それが音楽の力になる。会場がKonzerthaus(コンツェルトハウス)であることも素晴らしい。昔ベルリンに住んでいたころに頻繁に通ったが、Philharmonie(フィルハーモニー)よりもずっと物語を生み出せるコンサートホールである。

リハーサルではこれでもかとプライドを踏みにじられるベルリンフィルであるが、これはチェリビダッケの愛である。お互いのプライドよりも音楽が上位になければいけない。それが音楽家として互いに求められていることなのだ。

フルート世界の住人としては、やはりKarlheinz Zöller(カールハインツ・ツェラー)に注目してしまうだろう。彼のあの高い響きが、どのような奏法のもとに実現されていたのかが、映像を通して垣間見られる。一音一音を発するのに大変な息の支えを要しているのが誰の目にも明らかだ。「 ぐっ 」と絞った息でなければ鳴らせない楽器だったのだろうと思う。 そして、そういった楽器でなければ鳴らせない響きだったのだとも思う。

また、ツェラーの隣に座っているオーボエ奏者は名手Günther Passin(ギュンター・パッシン)である。彼のホームページによると、彼にはこのコンサートのために特別に声がかかったようだ。


そこに記されていた一文。

​”Letzter Auftritt als Orchestermusiker”  (オーケストラ奏者としての最後の登壇)


軽く寒気がした。



音楽は人間のドラマなのだ。


 
 
 

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