様式感
- 中川 康大

- 2013年7月27日
- 読了時間: 1分
音楽を好きな理由は何かと問われたら、私はこう答えるだろう。「音楽の素晴らしさを理解できる瞬間があるからです」、と。 その瞬間を提供してくれるのが音楽家である。
クルト・ザンデルリンクの指揮したブルックナー作曲『交響曲第7番』、パウル・マイゼン氏のフルート演奏、昔から好きなギタリストであるスティーヴ・ハウのプレイ、ミュンヘン・コンクールで大喝采を浴びたクラリネット奏者・金子平氏のウェーバー等、いくつか思い浮かぶものがある。
彼らの演奏に何が共通しているかと言えば、曲の素晴らしさを聴衆に理解させることができるという点だろう。
今までは、こういった感覚をひととの会話の中でどう表現すればいいのかよくわからなかった。「これは本物です!」と、豊かな表情で語りかけるほかなかった。が、最近知ってしまったのだ。 この感覚を表す単語を。
それは、様式感である。
音楽ジャーナリスト・渡辺和氏によると、様式感とは「全体をそれらしく感じさせる音楽の佇まい」(参照:大阪交響楽団音楽リレー談義)のことを言うそうだ。あの腑に落ちる感覚、真意を理解するような感覚、これだと思った。
この様式感という言葉を今後少しだけ掘り下げてみたい。この単語が音楽を語る上での重要なキーワードになるだろう。


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