様式感 その2
- 中川 康大
- 2013年8月9日
- 読了時間: 2分
更新日:2020年8月28日
前回、様式感という言葉を発見しこのテーマを掘り下げてみようと張り切っていたが、早速意気消沈気味。
何といっても困ったのは、様式感という言葉はよく耳にするにもかかわらず、いざグーグルで検索してみるとほとんど何も引っかかってこないということである。広辞苑で調べてもこの語は出てこない。インターネット上では、西洋人が日本人の演奏を「様式感がない」といって馬鹿にしたというような話が散見されるが、この場面でその西洋人はどういった単語を使ったのだろうか。そしてその語をもって何を表現しようとしたのだろうか。
「様式」という語を広辞苑で調べてみよう。すると以下のように説明されている。
―芸術作品・建築物などの形式的特徴を総合したもの。特定の時代・流派・作家などの表現上の特性を示すもの。
特徴の総合なのか、部分的特徴なのか曖昧な部分はあるが、確かにこの語を聞いて大多数の人間がイメージするものに限りなく近いように思う。
前回紹介した渡辺氏による解釈である、
―「全体をそれらしく感じさせる音楽の佇まい」
というのは、心情的には大いに賛同したいものの、その語の一般的意味から辿ってみると少し拡大解釈し過ぎている感じもする。悲しいのは、ある音楽を聴いて感じた、「全体をそれらしく感じさせる音楽の佇まい」を第三者にわかってもらうべく「様式感に溢れる素晴らしい演奏でした」と言ってみたところで、その第三者にはきっと意図した風には伝わらないということだ。
ただ、渡辺氏の言うような(そして私自身がそう解釈したいような)意味合いでこの語を使用するひとが少数ながらいることも確かである。
きっと皆、なんとかして自分自身の感動を言葉で表したいのであろう。私とてそうなのだ。ただ残念ながら、この「様式感」という言葉を日常的に使用することは「可能ではあるがほとんど無意味」と言わざるを得ないのではないだろうか。
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